2011年 03月 13日
3月11日 大きな地震でした |
昨日の新聞で 自分の体験した揺れが
震度5強の地震だった事を知りました
地震が起こった時間 職場にいました
最初 小さな揺れがあり その後停電になりました
そして大きな揺れになったので職場の全員と
お店にいたお客さんとで外に出ました
長い横揺れが続き 立っていられず
しゃがみ込んだら そのまま後ろにひっくり返りました
電柱も大きな木も倒れてくるかと思いました
職場から自宅までの帰宅途中 1箇所残してすべての信号が停電
1時間半近くかけて帰って来ました
(普通でも1時間以上掛かるので ほとんど渋滞は無し)
家に着いて 玄関の懐中電灯を持ち 靴のまま中へ
主人の部屋が一番ひどく
テレビやコンポ ビデオデッキがすべてラックごと倒れていて
足の踏み場がありません
私の部屋やアトリエ 廊下や娘の部屋は 細かな飾り物や本などが落ちていて
棚やラックも壁からはズレていたけど それほどの被害は無し
居間とキッチンは陶器やガラス製品が多かったので少し落ちていて
破片が飛び散ったりしていました
停電で掃除機も使えないし 暖房器具も使えず
余震も大きくて怖かったので
一晩 庭の車の中で過ごしました
車のテレビで新しい情報が流れる度に
大きな地震だった事を知りとても怖くなりました
途中 膝掛けを取りに行ったり
電池を取りに行ったり
家に入るたびに余震で揺れるので心臓バクバクです
結局 車の中でも余震の揺れと緊急地震速報にビビり
一睡も出来ず朝を迎えました
日が昇ってから家の中に入り被害を確認しました
停電中でも開店していたコンビニに買出しに行き
市役所のトイレに寄って 連絡が付かなかった叔母の様子を見てから家に帰り
割れたものの掃除をして簡単に朝ごはんを食べた頃に電気が復旧しました
家の中で一番被害の多かった
主人の部屋はこんな感じ
災害時に繋がりにくい携帯電話でしたが
友人や親戚などからメールが来たり送ったり
どんどん無事が確認されていきました
周りの家は 瓦が崩れた家が多いようです
うちはデッキが壊れたのと
外回りを点検したら お風呂のボイラーも位置がズレていて
ちょっと修理が必要な事と
玄関のタイルの目地部分が少し剥がれてしまっている位で
今回の震災の酷さを考えると
私の家のダメージはなんてこと無いと思いました
(※ 後々 外壁の亀裂やクロスの裂けやよじれをたくさん見つけましたが
それでも大した事ではありません)
午後からは まだ電気と水道が止まったままの茨城県側の実家まで
炊いたご飯と救援物資を届けに出かけました
途中 行く先に見える工業地帯からは
いつもと違う 黒い煙が上がっていました
実家の市では 地盤の弱さで盛り上がっている土地や 傾いている家を多く見ました
黒い煙は 住友金属の火事の煙でした
幸いにも実家に被害はありませんでした
私の父はずっと自宅で酸素を吸っています
停電中は携帯用の酸素で過ごしていましたが
夜 電気が戻ったと電話がありホッとしました
でもその電話で 母の実家(実家の隣の市)が津波で床上浸水したと聞きました
弟の電話では 義妹の仙台の家族とは一人だけしか連絡が取れないそうです
従妹の家は瓦が落ち 下に停めてあった車が一台壊れたそうです
余震が多いので トイレに行くのが怖いです
夜はすぐに外に飛び出せるように
服のまま 居間のホットカーペットの上で寝ました
明けて今日は 市内で断水中の従弟や叔母が水を汲みに来たり
友人が洗濯をしに来たりとパタパタと過ごしています
まだまだ余震の度に心臓がドキドキです
余震で揺れているのか 自分だけ揺れているのか
ちょっと分からない事もありますが
それでも私は元気です
震度5強の地震だった事を知りました
地震が起こった時間 職場にいました
最初 小さな揺れがあり その後停電になりました
そして大きな揺れになったので職場の全員と
お店にいたお客さんとで外に出ました
長い横揺れが続き 立っていられず
しゃがみ込んだら そのまま後ろにひっくり返りました
電柱も大きな木も倒れてくるかと思いました
職場から自宅までの帰宅途中 1箇所残してすべての信号が停電
1時間半近くかけて帰って来ました
(普通でも1時間以上掛かるので ほとんど渋滞は無し)
家に着いて 玄関の懐中電灯を持ち 靴のまま中へ
主人の部屋が一番ひどく
テレビやコンポ ビデオデッキがすべてラックごと倒れていて
足の踏み場がありません
私の部屋やアトリエ 廊下や娘の部屋は 細かな飾り物や本などが落ちていて
棚やラックも壁からはズレていたけど それほどの被害は無し
居間とキッチンは陶器やガラス製品が多かったので少し落ちていて
破片が飛び散ったりしていました
停電で掃除機も使えないし 暖房器具も使えず
余震も大きくて怖かったので
一晩 庭の車の中で過ごしました
車のテレビで新しい情報が流れる度に
大きな地震だった事を知りとても怖くなりました
途中 膝掛けを取りに行ったり
電池を取りに行ったり
家に入るたびに余震で揺れるので心臓バクバクです
結局 車の中でも余震の揺れと緊急地震速報にビビり
一睡も出来ず朝を迎えました
日が昇ってから家の中に入り被害を確認しました
停電中でも開店していたコンビニに買出しに行き
市役所のトイレに寄って 連絡が付かなかった叔母の様子を見てから家に帰り
割れたものの掃除をして簡単に朝ごはんを食べた頃に電気が復旧しました
家の中で一番被害の多かった
主人の部屋はこんな感じ
災害時に繋がりにくい携帯電話でしたが
友人や親戚などからメールが来たり送ったり
どんどん無事が確認されていきました
周りの家は 瓦が崩れた家が多いようです
うちはデッキが壊れたのと
外回りを点検したら お風呂のボイラーも位置がズレていて
ちょっと修理が必要な事と
玄関のタイルの目地部分が少し剥がれてしまっている位で
今回の震災の酷さを考えると
私の家のダメージはなんてこと無いと思いました
(※ 後々 外壁の亀裂やクロスの裂けやよじれをたくさん見つけましたが
それでも大した事ではありません)
午後からは まだ電気と水道が止まったままの茨城県側の実家まで
炊いたご飯と救援物資を届けに出かけました
途中 行く先に見える工業地帯からは
いつもと違う 黒い煙が上がっていました
実家の市では 地盤の弱さで盛り上がっている土地や 傾いている家を多く見ました
黒い煙は 住友金属の火事の煙でした
幸いにも実家に被害はありませんでした
私の父はずっと自宅で酸素を吸っています
停電中は携帯用の酸素で過ごしていましたが
夜 電気が戻ったと電話がありホッとしました
でもその電話で 母の実家(実家の隣の市)が津波で床上浸水したと聞きました
弟の電話では 義妹の仙台の家族とは一人だけしか連絡が取れないそうです
従妹の家は瓦が落ち 下に停めてあった車が一台壊れたそうです
余震が多いので トイレに行くのが怖いです
夜はすぐに外に飛び出せるように
服のまま 居間のホットカーペットの上で寝ました
明けて今日は 市内で断水中の従弟や叔母が水を汲みに来たり
友人が洗濯をしに来たりとパタパタと過ごしています
まだまだ余震の度に心臓がドキドキです
余震で揺れているのか 自分だけ揺れているのか
ちょっと分からない事もありますが
それでも私は元気です
by nap-of-dog
| 2011-03-13 23:43
| 生活